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さぬき市の遍路文化に関する情報をお知らせしている、おへんろつかさの会

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活動報告program

第5回 特別研修霊場巡拝 20鶴林寺~21番太龍寺


  阿波一国まいり第五回 さぬき市・・バス・・20番鶴林寺から21番太龍寺 難易度★★★ 10.8Km
 参加者 15名:生名=3.5Km=>20番(鶴林寺)=2.5Km=>水井橋休憩所(昼食)バスにて 一宿寺へ移動 
 =4.8Km=>21番(太龍寺) ーロープウェイー道の駅「鷲の里」まで
 ※オプションでお松大権現参拝  ※オプションで舎心ケ嶽の参拝
 ※ロープウェイ代は別途集金(団体扱い 1,200/人)

 さて、今日は9月の第二土曜日ということで、「平成29年度特別研修」ということで、徳島の四国霊場を歩いて回る研修を行っており、今月は第5回で、生名地区から20番鶴林寺から21番番太龍寺を歩くことになっている。生名地区までは貸し切りバスである。

 

 私ら数名は、高松自動車道の「津田の松原サービスエリア」からの乗車になる。それが、今回は午前6時10分集合で6:20分出発。本隊はさぬき市役所 午前5時50分集合で6時出発。

 

 途中のコンビニでトイレ休憩をしたり、お弁当やら水分の補給をしておく。その後、勝浦町生名で歩き部隊11人はおりて山道を歩く。バス班4名は、そのまま駐車場に向かい、20番札所の鶴林寺に8時半過ぎに着いた。一行は生名から山道を3.2Kmを歩いてきた。およそ1時間と早かった。バス班が着いて間もなくだった。勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾にある20番札所の鶴林寺。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781?806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。

 

 標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573?92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。

 

 今回の歩き部隊は10名、サポート班が5名。ここで、カナダ人とオランダ人のご婦人二人に出会ったが、行く先々で一緒になった。歩きとバスとが似たような時間帯になった。

 

 今回もお世話になった屋島観光のバスである。いつも、ここのお世話になっている。これに15人だからゆったりとしたもので、会費は7,000円。ま、私にすれば、こういう機会でもないと訪れることのない場所である。

 

 歩き部隊は山道を下ってきて、水井橋休憩所へおりてきた。バス班はここで待機。水井橋休憩所で歩きとバス班が合流して昼食。ここでも、例の外国人二人と一緒になった。その後、全員がバスで一宿寺に向かい、歩き班はここから21番の太龍寺を目指して歩く。およそ、4.8Km。かも道というらしい。

 

  私らバス班は、近くの「お松大権現」を見学。ネコネコネコの不思議な世界。お松大権現は、通称「猫神さま」として親しまれており、境内には約1万体の招き猫が奉納されている神社である。勝負事・願い事の神様として知られ、受験シーズンは合格祈願の参詣者で賑わうらしい。

 

 14時過ぎに、ロープウェイ乗り場、道の駅「鷲の里」からロプウェイに乗る。バス班は5名で、個人の片道で1,300円。時間はおよそ10分。清流・那賀川が造る景勝・鷲敷ラインを眼下に眺めつつ、目指すは四国八十八ヶ所霊場第21番札所「太龍寺」。山麓駅と山頂駅をつないでいるのは、全長約2,775m で西日本一の規模を誇る「太龍寺ロープウェイ」である。101人乗りの大型ゴンドラに揺られ、那賀川の流れや山あいに広がる那珂町の町並み、剣山につらなる山々や遠く紀伊水道から淡路島を眺めながら、およそ10分間の空中散歩を楽しんだ。

 

 「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。

 

 皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。

 

 山門から長い参道を進むと右側に六角経蔵、護摩堂、持仏堂(本坊)、納経所があり、この先の石段を上って行く。石段の途中に鐘楼門が設けられている。上り詰めて左に進むと奥に本堂が建ち、その左後ろに求聞持堂がある。本堂とは逆の右に進むと橋を渡った先に大師堂拝殿がある。履物を脱いで拝殿回廊を回り込んで拝殿裏に行くと大師堂奥殿がある。多宝塔は本堂と大師堂の間の丘の上に立つ。 なお、ロープウェイ利用の場合は、山頂駅舎出口の前の石段を上り詰めると本堂の正面にでる。

 

納経所の右隣にある持仏堂の大廊下の天井には、安芸市出身の日本画家、竹村松嶺による大きな龍が描かれています。この龍は、弘法大師の修行を邪魔しようとして現れ、その後に守護神となった龍だそうです。

 

 境内から650mほど左へ行くと舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)があり、そこで弘法大師が、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の真言を100万遍唱えると超人的な記憶力がつくという「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修行をしたと伝えられる。

 

 16時過ぎに舎心ケ嶽に向かって、戻って来たのは14時20分過ぎ・・。みんな、すなおになって、この笑顔・・・。あとは、ロープウェイに乗って山を下りたのだった。

  




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